現役時代のニックネームは「グレイ」。小顔、坊主頭、なで肩であったのが宇宙人っぽかったため。
秋田経法大付属高校2年時に春夏連続で甲子園に出場。1994年の世界選手権で高校生としては史上初の代表入りを果たす。MAX152キロのストレートを武器に強豪キューバから三振を取るなど、超高校級の逸材といわれ、ドラフトでは8球団以上の競合は確実とまで言われた。
アマチュア凍結選手となり高校からはプロへ進まず、日本石油に入社。社会人ではフォームを崩すなど伸び悩み、川村丈夫の影に隠れる格好となった。
1996年のアトランタオリンピックに出場。アマチュア凍結選手の特例[1]として同年逆指名で巨人にドラフト2位で入団。二軍ではノーヒットノーラン、1試合20奪三振を達成するなど格の違いを見せつけ、素材の良さには定評があったが、1軍では登板即5連続四球するなど精神面の弱さが仇となってしまった。この間も制球難を克服するためサイドスローに転向したりスリー・クォーター気味のフォームにしたりと試行錯誤を繰り返したが効果は出なかった。
2002年11月永池恭男と共に中浜裕之・吉川元浩との交換トレードで近鉄に移籍。しかし2軍ですら防御率31.91と戦力にはならず2003年戦力外通告を受け退団。プロではわずか3勝に終わる。
2004年メジャーリーグ・ミネソタ・ツインズとマイナー契約。2005年11月7日の12球団合同トライアウトに参加するが、3四球と結果は残せず獲得する球団はなかった。
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